1 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします :2025/07/14(月) 18:51:34.842 ID:QALLli/2p.net
笹巻き寿司
お茶の水にあるやつ?
だまそうとしてるな
今の3倍くらい大きかった
3つくらい食べると腹いっぱい
>>9
でもそれが本来の江戸前寿司だからね
今の寿司はGHQ統制下で作られたGHQ寿司だからな
でも酢は原点回帰したよな?
それが酢が強めで熟成してて
めちゃくちゃ美味い
むしろ屋台は天ぷらとそばが多かった
天ぷらは防火のために屋台でやらせてた
茂木慎太郎著の本にその辺りの研究結果書いてあったけどその辺りはどれも同じバランスみたいだよ
当初は両国浅草あたりの火除け場に屋台を
つくり始めたのが最初
しかし高くても売れるってのがわかったら
寿司は店舗なってった
もっと昔はシャリごと熟成させてたよ
昔の衛生環境だと熟成させないと多分*かもしれんし
お前らがよく言う「トロは捨ててた」ってヤツ
猫またぎっつって猫も食わなかった
そう
それでスシと読む
別にコンビニと変わらんだろうえ
コンビニっつーかオケに入れて売り歩いてたぞ
屋台寿司はだいたい4文とか2文とか
今の価値で200円か100円くらい
店舗寿司は三両(9万くらい?)とかあった
江戸中期からだからなぁ
酒*で赤酢を作った
平和な世になって新田開発進めたから
米の生産量が増えた
●●新田って知名はほぼ江戸になってからの開発やで
戦で領土拡大できなくなったから
φ(..)メモメモ
本番銀座で食べる朝採りの江戸前マグロ、江戸前タイ、江戸前サーモン…どれも絶品だ
江戸っ子はフグの肝で一杯やるのが粋だった
日本の軍部を支えていたのは地方の地主
だってことに気づいていたから
それを排除するために農地解放を行なった
ちなみに回転寿司の特許を持ってたのは
「元禄寿司」で、昭和33年に開発したが
特許が切れた昭和53年あたりから
一気に回転寿司が広まって
このころから生でサーモンを食べるようになった
普通に外食禁止令出てるが
当時は外食券で管理されてた
もちろん寿司屋もGHQから営業停止命令が出てた
その規制逃れで今の形態の寿司が誕生した
冷凍技術が発達して良かったかぁ
昔は猫すらまたいでたから
回転寿司の第一号は1958年の元禄寿司
生でサーモン食うようになったのは1980年頃
GHQとサーモンに関連性はない
しいて言えば赤酢でシャリが茶色いせいで
当時ミャンマーから輸入した米に黄変米ってのが
あって風評を恐れて白酢に一斉に変えた
それはそう
サーモンは単純に寄生虫リスクで食えなかっただけだな
バブル寿司の方が正しいか
その規制を回避するために現代にお馴染みの東京寿司が誕生した(回転寿司とかでよく見るやつ)
ところが、すし屋はこんなことをいい始めます。「俺たちは飲食業者じゃぁない」と。「俺たちの仕事はすしを握ることだ。米は客が持ってくるから、米を売っているわけじゃない。米のメシをすしに加工する俺たちは『加工業者』だ」。
無茶な主張に思えますが、何とこれが警視庁を通ります。もちろんその後ろにはマッカーサー率いる連合国軍最高司令官、通称・総司令部(GHQ)がありましたから、これはGHQの決定も同然でした。
おかげですし屋だけは、大手を振って、堂々と商売ができたのです。
うん、だからそう言ってるじゃん
もう一度書くけど
江戸時代から続く形態の「本物」の江戸前寿司はGHQの営業停止命令により消滅した
その規制を回避するために現代にお馴染みの東京寿司が誕生した(回転寿司とかでよく見るやつ)
戦前から続く
美寿志
久兵衛
銀座すし幸
双葉鮨
吉野鮨
喜寿司
あたりの系譜は続いてるじゃん
弁天山美家古寿司
築地寿司清
紀文寿司
あたりの系譜も続いてるしな
軍艦巻きを考案したのが1941年な
パールハーバーの年
米騒動の翌年
この作品は当時の寿司事情を垣間見ることができる
志賀直哉が小説の神様と呼ばれるようになったきっかけの作品
志賀直哉は久兵衛を贔屓にしていた
この作品を批判してるけど
太宰治の「人間失格」にも屋台寿司の描写が出てくる
当時の文壇の権威者である志賀直哉を
痛烈批判してんだよ
まるでお前らみたいでワロタ
この者は人間の弱さを軽蔑している。自分に金のあるのを誇っている。「小僧の神様」という短篇があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なものである。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。
またある座談会で(おまえはまた、どうして僕をそんなに気にするのかね。みっともない。)太宰君の「斜陽」なんていうのも読んだけど、閉口したな。なんて言っているようだが、「閉口したな」などという卑屈な言葉遣いには、こっちのほうであきれた。
どうもあれには閉口、まいったよ、そういう言い方は、ヒステリックで無学な、そうして意味なく昂たかぶっている道楽者の言う口調である。ある座談会の速記を読んだら、その頭の悪い作家が、私のことを、もう少し真面目にやったらよかろうという気がするね、と言っていたが、唖然あぜんとした。おまえこそ、もう少しどうにかならぬものか。
さらにその座談会に於て、貴族の娘が山出しの女中のような言葉を使う、とあったけれども、おまえの「うさぎ」には、「お父さまは、うさぎなどお*なさいますの?」とかいう言葉があった筈で、まことに奇異なる思いをしたことがある。「お*」いい言葉だねえ。恥しくないか。